弾丸と週末

先週末、日本文化教室へ毎回通ってくれる人の家へお邪魔した。
手作りのニカラグア料理をご馳走してくれる、という誘いだった。
 
作ってくれた料理はナカタマル。
とうもろこしの粉を練ったシートにごはんや豚肉やお野菜を入れ、それをバナナの葉っぱで包んでゆでる、手間ひまかかる料理。
保存食で、昔は遠いところに行くときのお昼ごはんだったそうな。
 
ごはんを準備してくれている間、私は映画を見ながら待った。
コーヒーのいい香りが漂ってきた頃、「できたよ」の声。
待ってました!
 
その学生は10年前に母親をなくし、お父さんと2人で暮らしている。
ごはんを食べながら、聞いてみた。
「戦争の頃のこと、覚えてる?」
 
食堂に飾られていた額縁を外すと、そこには弾丸のあとがある、と言った。
「僕が2歳の頃、母親が僕を抱いていたんだ。
僕が落とした物を拾おうと、母親が腰をかがめたとき、その上を弾が飛んでいった。
そうじゃなかったら僕、死んでいたな」
家には3つの弾丸の跡があるそうだ。
 
彼は 料理を作って人に食べてもらうのがとても好きなんだ、と言った。
とても気のよい弁護士さんの手作りナカタマルは、優しくやわらかい味だった。

ところてん と バナナ

今日もまた、4人の先輩隊員が任期を終えて帰国していった。
 
以前、先輩隊員から、
「ところてんみたいに押し出されてる感じよ」
と聞いたことがあったけど、今、実感としてその言葉の意味がわかる。
 
あっという間に私たちの番が来るんだろう。
 
 
見送った空港からの帰り、先輩隊員と4人でタクシーに乗った。
 
タクシーの運転手は人相の悪い顔立ち(失礼!)
じーっと顔を見ていると、以前にも彼のタクシーに乗ったことがあったのを思い出して驚いた。
ポイントは長い爪。
運転するとき、助手席のシートに手を乗せて運転するから、爪がよく見えたのだった。
 
先輩隊員さんとそんな話をしているとき、信号待ちをしていた私たちのタクシーの両側に馬車が止まった。
 
左側の馬車にはバナナが満載だった。
 
そのとき、運転手がいたバナナ満載の馬車の主人に向かって突然
「それ買うわ。」
と言った。
 
えー!!!それって売り物?!見ず知らずの人にいきなり声かけちゃうわけ?!
と驚いているまに、馬車の主人はさもあたりまえのことのように、大量のバナナを手馴れた手つきでもぎ取り、タクシーの運転手に渡した。
 
 
信号が青に変わると、運転手は何事も無かったのように運転しながら
「食べな」
とわたしたちにもそれぞれ1本ずつくれた。
 
それは甘い、おいしいバナナだった。
 
日本では絶対ありえないでしょう、こんなこと。
バナナ満載馬車も、乗せてる積荷が突然商品になることも。
 
こんな、驚きがたくさんあるからニカラグアっておもしろい。

国立映画館

今夜はニカラグアの国立映画館へ行ってきました。
その名も"CINEMATECA NACIONAL Y MOVIES"

国立と言っても、こじんまりとした昔風の映画館。
天井にはファンがついていて、映画の上の方は低い天井に遮られ、途切れていた。
更にはたちの悪い蚊がたくさんいて、3箇所、刺されました。
入場料は30コルドバ(約180円)
 
今夜観た映画は
"MAS ALLA DE LA CENIZAS"(Out The Ashes)

第二次世界大戦を生き延びたハンガリーのユダヤ人産婦人科女医がニューヨークでとして働こうとする姿を描いたもの。

アウシュビッツに向かう汽車に主人公の女性一家は家族ばらばらに乗せられ、絶望に向かって進んでいく。

-黒人売買が行われていた時代の船やアウシュビッツの汽車。あんなにも希望のない乗り物を人間は作り出してしまえるのか-
また、アウシュビッツでの生活の酷さは、いろいろなドキュメント番組や他の映画を見たことがあっても、何度見ても新たな衝撃を呼び覚まし、私の想像の限界を秒速で突き抜けていく。 -
そんなアウシュビッツで主人公の女性は
「わたしは生き残るんだ!」
と叫ぶ。
-本当に強い。そうでなかったら生き延びられなかっただろう-
そして終戦を迎え、ニューヨークで産婦人科医として働くことを願い、その町で生き残ったほんのわずかなユダヤ人たちと再会し、その中の1人の女性の子供を取り上げるシーンで幕を閉じる。

そんなストーリーでした。

スペイン語吹き替えだったのに映画の内容がなぜか今夜は良く分かったな、と思ったら、きっと命令形が多かったからでしょう。
スペイン語の命令形は、他の言語同様、シンプルです。
この映画を観て、戦争経験者の人がその経験を話したくないという、その気持ちが痛いほどわかるような気がしました。
また別の視点から第二次世界大戦を見る、貴重な機会を得ました。

心に大きいものが乗っかりました。

 
映画館を出るとすっかり夜。月が明るくのぼっていました。
 
明日も“OSAMA”を観てきます。

8ヶ月

先週の土曜日、もうすぐ2年の任期を終えて帰国する先輩達のデスペディーダ(お別れ会)があった。
わたしは土曜日のクラスがあるので参加できないと思っていたら、時間延びていたおかげで間に合った。
 
私が入っていったときは、ちょうど先輩隊員達がひとりずつ挨拶をするところだった。
 
楽しかったこと、苦労したこと、後輩隊員へのメッセージ。
遊びでも出張でもなく、ボランティアとして2年に渡って仕事をしてきた、その経験が滲む言葉が胸に響いた。
 
わたしも気づいてみればもう8ヶ月が経った。
残りあと1年と4ヶ月。
ここでの生活。毎日があっという間に過ぎていく。
 
この3月と4月にかけて、15人くらいの先輩隊員たちがどっと日本に帰国する。
こりゃ寂しくなるなぁ。
それにしても日本に戻るってことがちょっとうらやましくもアル。
 
焼き魚、根菜の煮物、ほうれん草のおひたし、温かいお風呂(こちらは毎日水シャワーなので)、和菓子etc…
 
 
最近、胃が悪いので和食が非常に恋しいのですよ。
それに温かいお風呂に入ってリラックスしたい。
本音を言うと水シャワーじゃリラックスどころかきれいに汚れが落ちてるかどうかも心配。
といっても、シャワーから水が出ることがありがたいのです。
夜の食後のデザートに、上品な和菓子も食べたいな。
 
 
 
さて今日、大学から歩いて8分ほどのところにある静かで大きな家に4月に移ることが、ほぼ99%決定しました。
まだ今住んでいる大家さんに言っていないので、それを伝えて了承を得ることと、次の大家さんにお金の支払いのことなどを相談して、それが両方成立すれば、移れそうです。
 
やはり、1月のルーター(市内バス)でのスリ事件は、今回の引越しを考える上で、私にも、大学側にも影響が大きかった。
 
スリにあった直後、夜間の仕事を任されているので、やはり家は近くがいい、と大学側に言ったら、すぐにOKが出た。
それから探し始めて2ヶ月目でようやく目処がたった。
ふぅーっ。
 
 
毎晩、猫のそらに「おやすみ」をいってから、自分のドアの鍵を閉める。
毎朝、起きたらそらがドアの前でお座りして、えさがもらえるのを待っている。
夜、家に帰ったら隣のYが料理を作って待っていてくれている。
そんなこの家の日常から離れるのか。
 
ちょっと寂しくもあるけど、私の生活を考えたら今度の引越しはきっといいはず。
 
8ヶ月も同じところで暮らしていたんだ。 
さあ、そろそろまた殻を破ってみよう。
きっと新たな出会いが待っている。
 
写真は「土曜日クラスのみんなと」

葛藤

みなさん知っての通り、わたしは食いしん坊である。
そして食べても、なぜかすぐにお腹がすいてしまう。
そういや、会社の同僚には「燃費が悪い」とよく言われてたっけ。

毎日の夜の授業の前なんて、もう空腹で立つ気力がないほど。

一旦授業が始まったら、空腹を忘れられるんだけど。

そして、今日も授業前、
「今晩 何 食べよう。家にあるのは・・・
 ん、何にもない!!!
 今日は食べるものが何にもないんだったぁー。」
とひとり心の中でぶつぶつ言っているときだった。

Tくんという、生徒の男の子が
「これ、お母さんから」
と言って渡してくれたもの。

袋を見ると
・出前一丁
・即席味噌汁
・お茶漬けのもと
がきれいに入っていた。

やったぁー、ごはん食べれる~♪

神からの恵み、いやいや、Tくんのお母様からのプレゼントのおかげでごはんがどうやら食べられそう。
感謝感激でTくんに重々お礼を言って、授業に入った。

そして帰り道。
今晩のメニューをさらっと“お茶漬け”にするか、久々“ラーメン”にするかで、葛藤した。

「冷蔵庫にたしか、梅干とたくあんがあったよな。
 じゃあご飯を炊いてさらっと“お茶漬け”にするか。
 いやいや、待てよ。
 卵があと1つ残ってたし、乾燥わかめがあるから、やっぱり“わかめラーメン”にするか。。。」

家にたどり着く頃、わたしの心の中で“出前一丁”の誘惑が“お茶漬け”に勝ちました。

「家に帰って、ごはんが食べられるってなんて幸せ~」と、台所で一人フンフン鼻歌歌いながら、ゆで卵入りのわかめラーメンを作って食べました。

“出前一丁”ってこんなにおいしかったっけ~☆

幸せの湯気に包まれて、わたしの夜は満たされました。

国際女性デー

3月8日は「国際女性デー」ということを わたしはニカラグアに来るまで、いえ、実を言うと昨日まで、全く知りませんでした。

日本のインターネットを見ても、自分から探さないと表立ったところに記事は見つかりませんでした。
でも、全世界でいろんな集会が開かれているようです。

 
 
さて、昨日の昼下がり、秘書のFに
「MITSUKO、明日はディア デ ムヘール(女性の日)だから、集会があるのよ。3時から。必ず行ってね」
と言われた。

女性の日。はて。

渡されたしおりのようなものに、女性の権利確保やらなんやらと書いてあった。

そして今日、大学へ行くと
「女性の日、おめでとう、MITSUKO~♪」
と男性、女性に関係なく、いろいろな人たちがわたしにそう言って、抱き合って、キスをする。

“ディア デ ラ ムヘール”と呼ばれるそれがなんのことやらよくわからないが、この場は乗っておこうと一緒にハグ(抱擁)。

そして、午後3時。

急いで仕事を片付けて、集会場へ向かう。

わたしが働く大学の学長さんは女性で、その人が、
「女性の日は男性にもその権利を知ってもらうための日でもあるので、

 女性、男性、UCAで働く人全てが集まるように」
とのお達しを出したため、大きな会場はいっぱいいっぱいに。

民族舞踊の後、国際女性デーについての説明を受け、ギターに合わせて歌を歌い、また踊り、そして大学でもっともよく活躍した女性たちを表彰したりした。

どこまでも陽気な人たちである。

ところで、わたしの同僚達は早く行ったにも関わらず、なぜか会場の一番後ろ、入り口付近に座っていた。
なんでだろうと思っていたが、終わりのアナウンスを聞いて、ようやくわかった。

別の会場にお菓子とジュースが用意されていたのだ。

みんなのチームプレイのおかげで、いち早くおいしいお菓子とジュースを頂いた。

お腹も満たしてクラスへ行くと、やっぱり生徒達が
「女性の日、おめでとう~」
と言ってきた。

その後のクラスでは、女性の日だからと、おいしい(高価な)チョコレートを

くれる生徒もいた。

女性の日、なんて良い日なんでしょう~。

帰宅して、キューバ人のIともやはり今日はお決まりになった
「“ディア デ ラ ムヘール”、おめでとう~」
と言い合った。
 
わたしは学生にもらったチョコレートをひとつ、Iにプレゼントした。
 
聞くと、キューバの人たちも、この日はお祝いするらしい。
しかも、今日も14人のキューバ人がこの家に集まって、パーティーをしていたらしい。
 
キューバ人のおじさん、Oがわたしに言った。
「毎年この日は男性が掃除する日。 食事を用意する日。
 そしてたくさんの女性にキスをする日なのさっ。」
 
さすがはラテン人!

プライドとテスト

ニカラグアの学生はテストの点数に敏感だ。
プライドが高い、と思う。
 
テストでよい点数を取れば
「今回のテストは簡単だった」
などと、こっちの苦慮も知らずに平気でのたもうし、悪い点数を取ればひとしきり大きなショックを受けたあとで、
「もう日本語、嫌いになった」
などと言う。
 
だから難しくするか、簡単にするか、そのバランスを考えながらのテスト作りはさじ加減が本当に難しい。
 
 
ところで今、わがクラスは最終テスト直前の時期。
クラスのムードはちょっとぴりぴりしている。
 
今日も授業の後は生徒からの質問タイム。
 
その中に「終了証明書が取れなかったら、次のレベルに上がれないの?」という質問もあった。
 
 
「もちろん続けられるよ。だって、勉強したいんでしょう?」
 
 
大学側はどういう対応をわたしに期待しているのか知らないが、正直言ってわたしには関係のないこと。
 
テストは自分の理解しているところと、まだ理解していないところを知るための物差しなのだ。
生徒を振り落とすためのざるじゃない。

 

日本語が勉強したいと言っている生徒は誰でも受けられる。
何度でもチャンスはある。
 
 
日本語の教室ではいろんな面で楽しんで欲しい。
異文化を知る楽しみ。
友と共に学ぶ楽しみ。
ゲームをする楽しみ。
外国語で会話する楽しみ。
そして学ぶ楽しみ。
 
生徒が帰るとき、何か楽しい思い出を毎日心に残せますように。

したいことがありすぎて

今、困っています。

やりたいことがありすぎて。

土曜日の午後から日曜日にかけて、やりたいことをメモにしたら、収まりきらなくなるほどあった。

1月末からついこの間まで冬眠(?!)していたからだろうか。

無我夢中でやりたいことに没頭していると、すぐに夜ふけを過ぎてしまう。

私がこの休みにまずしたかったことは、「少年H」を読むこと。

J事務所にあったその本の上巻を借りて読んだところ、

・戦争中の生の話を聞けたこと
・戦時中を生きた子供が感じていたことを知れたこと
・自分の生まれ育ったところに近い地名がたくさん出てきたこと

などの理由から、それはもう夢中で読んだ。

そして下巻を借りようと何度か事務所に足を運ぶも、他の方が借りておられたようで、このひと月ほど見当たらなかった。

それが、先日行ったらあったので、この週末に読もうと、楽しみにして、この週末を待っていた。

下巻には、私の祖父母が住んでいた「明泉寺町」という懐かしい地名も出てきたりして、

祖父母が、父が、どんな風に戦時中を暮らしていたのか、
また、その頃周りにどんな景色が広がっているのかを、
「妹尾肇」という少年が見た景色から想像を膨らませながら読んでいった。

戦争が神戸で素朴に暮らしていた人たちにどんな影響を与えたのか。
とつとつと語る肇少年の魅力も含めて、全てが素晴らしかった。 切なかった。

そしてなんとも言えない気持ちが残った。

感動と複雑な気持ちの余韻を残しつつ、時計を見ると、既に日曜の午後4時半。

おっと、夕食を作らねば。

週末の食事は私の大事な栄養源なので、丁寧に作るように心がけている。

日曜日の夜のメニューは「カリフラワーとチキンのカレー」

タマネギをたっぷり入れた辛口カレーに、プレーンヨーグルトをこれまたたっぷり加えて出来上がったそのカレーは、両面皮をパリッと焼いた鳥肉にかけて食べると、なんとも美味!(←自画自賛)

珍しく、あまりにおいしくできたので、前のキューバ人にもおすそ分け。

前回カレーを持っていったときは
「キューバ人は辛いものが好きじゃないから・・・」
と言っていたけど、今回は
「ねぇ、この料理なんて言うの?」

すみません、前回のと同じ食べ物なんですけど・・・

食後、デザートを食し、インターネット電話で姉と話した。
姉と話すのは4ヶ月ぶりくらい。

あっという間にまた1時間近くが過ぎていった。

 
 
 
そして、今日。
 
レベルⅡのクラスは形容詞の授業だった。
 
誤用がいろいろ出てきて面白かった。
 
例えば「しんせつ(親切)」が「しんせん(新鮮)」に、「やすい(安い)」が「やさい(野菜)」に。
ううーん、確かに1文字違い。
 
レベルⅡのクラスも終盤に差し掛かっている。
またバスのストライキが始まったけど、もう休んじゃいられない。

アラビアン ナイト

今週は仕事が本当に忙しかった。

途中から日本語教室に参加したいと希望する人への対応、レベル2の平日クラスから現在レベル5の土曜日クラスへの移動を希望する学生への特別授業実施、テスト作りetc…

 
おかげで1週間過ぎるのが早かった。

そしてやっと金曜日。

今夜は日本語教室の学生に前から誘ってもらっていた
ベリーダンスの舞台を見に行ってきた。

とても情熱的でセクシーなダンス。
腰を揺らし、胸をそらし、挑発的。

お腹のお肉ぷにぷにのおばちゃまから若い女の子まで踊っている。

初めはやっぱり若いっていいなぁって思いながら若い人を見てたけど、おばちゃんたちが楽しそうに踊っているのを見て、これもいいもんだなぁ、と思った。

踊っていたのはジムでベリーダンスを習っている人たちだと聞いたから、発表会だったようだ。

ダンス好きなニカラグア人だけでなく、チリやスペイン、イタリア人なども踊っていたらしいから、社交場のようなところなのかもしれない。

日本でダンスを習っている友人に写真を見せたいと思ったので今回は写真つき。

ダンスも衣装も音楽も舞台も良かった。

 
初めて見たベリーダンス。
 
素敵なアラビアンナイトを堪能した。

ユニークな講習会

先日、私が所属する言語学科の学部長から語学教師宛の手紙を受け取った。
いつもはちらっと見て、「ふんふん」と思うだけだったが、その手紙にはこう書いてあった。

「2月28日 2:00から5:00まで 語学教師一同会してのTALLER(講習会)を行う。
 それぞれ語学を教える上での課題・問題点をまとめて参加するように。
 尚、語学教師は絶対参加である。」
と。

一気に青ざめる私。

というのも、昨年12月、語学教師全体の反省会があったとき、私は会議のスペイン語をほとんど理解できず、ほとんど話すことができなかったという、苦い苦い思い出がある。

あれから上達していないスペイン語力。
どうにか理由をつけて休もう、と思った。

しかし、である。

「できないことがある、というのは伸びるチャンスかもしれない」

と、苦しいことを面白がってしまう傾向にある私は、今週、考えを180度変え、参加することにした。

そして、当日の今日。

思い切って、中央・前列に座った。

どこまでもあほな奴である。
と自分でも思う。

でも、どうせ参加するなら正面中央でなきゃ。

先生達はほとんど全員スペイン語力100%、しかも英語力も99%ある。(東洋人は私一人)

「MITSUKOは英語できるの?」

スペイン語力が弱い私を知っているある顔見知りの先生が聞いてきた。

「うーん。。。英語もあんまりだなぁ・・・」

と返答に困っていると、別の先生が

「彼女はね、スペイン語も英語も分からない振りをしているだけなんだ」

と言って、皆に笑われた。

よかった。笑ってもらった方が楽だ。

「ええい、ままよ!ネタにしてくれ!」

と思っているうちに講習会が始まった。

その講習会の、なんと面白かったこと!

まさに目からうろことはこのことである。

1人の先生がプレゼンテーションをパワーポイントを使って進めるのだが、みんなの想像力や意見を引き出すのがとても上手だった。

 
そして本人はまとめ以外はほとんど口を挟まない。
例えば、始まりは"hip tuck"というアメリカの有名なテレビ番組(美容整形が舞台)の広告ページを画面に映し出し、

「彼らは何を売っていますか。
 彼らに必要な能力は何ですか。
 彼らのお客は誰ですか。」

などと問いかける。

皆が次々にそれに応える。

その次はもっと抽象的な、文字をぼやかした、写真の広告を画面に映し、同じ質問を問いかける。

今度は教師達の想像力の出番だ。

皆が答える。
出席者の先生達の意見もなかなかユニークだった。

例えば、
「後ろにある大きな建物がホテルだとしたら、それは安らぎと時間を売るのがサービスだ」
と言った風に。

答えなどないから、様々な意見が飛び交う。

そしてやっぱり、こう質問してきた。

「私たちは何を売っていますか。
 私たちに必要な能力は何ですか。
 私たちのお客は誰ですか。」

私が働いている大学の語学教師が、私が勤めていた企業と同じように、こういう視点から入っていくとは思わなかった。

この問いに対する答えを相談し、出し合った後、皆で問題点を出し合う。

フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語、スペイン語の先生が参加していたのだが、出てくる問題は皆、共通の問題である。

テストの作り方、教室に遅れてくる生徒への対応、クラス環境の作り方、etc・・・

まだ大まかにざっと分かった程度だったが、この会議に参加した意義は大きかった。

というのも、日本語教師はニカラグアで1人。

問題があっても、日本語教室の問題はほとんど1人で解決するしかない、と思っていたが、全くそうではなかった。

同じ悩みを持ち、一緒に解決する仲間が、こんなに身近に、こんなに多くいたのだ、ということを今日、知った。

そして、プレゼンテーションの見せ方、ホストの司会進行の仕方、立ち居振る舞いなど、非常に学ぶものが多くあった。

私はまだまだ学び足りない。

そう思いながら、ひらがな無料教室があるので講習会を途中で出た。

講習会で刺激を受けすぎた私の小さな脳みそをクールダウンさせるため、カフェテリアへコーヒーを飲みに行き、それからひらがな無料教室へと向かった。

ひらがな無料教室への今日の参加者は12名。
小さな教室に、いっぱいいっぱい。
大盛況である。

このクラスはアシスタントの学生が教えているので、こちらもまた途中で抜けて、5時からのクラスへ向かった。

そして6:50p.m.からのクラスでのこと。

授業をしながら自分がかなり疲れていることを感じていたとき。

突然バーン!と電気が落ちた。

クーラーが弱かったのはその前触れだったのだろう。

本当に、教室中がまっくらになった。

生徒達が携帯電話のあかりをつけるがなんの役にも立たない。

私は黙って、電気がくるのを待った。

そのとき、闇の中で学生が言った。

「先生が逃げた!」

面白いのでそれでも黙り続けていた。

「本当だ。本当に逃げたぞ!」

真っ暗な中、生徒達が騒ぎ出す。

「ここにいるよ。」

と、携帯で顔を照らしながら言ったら、全員が一斉に笑い出した。

私は逃げない。
どんなことがあっても。

大学は自家発電があるので、5分後に電気が戻ったが、マナグア市はその後2時間近く停電が続いた。

私が家に戻ったときはまだ停電が続いていたので、ろうそくの灯りを燈してお湯を沸かし、夕食を友人と食べた。

闇の世界。
これも貴重な体験である。