ニカラグアで家族だったフェルナンドさん一家。
私が住んでいた家の同じ通りの端の家で、
日本人の土木建築員たちの運転手さんをしていた人が
お父さん。
気がつけば自然に挨拶をし、果物を贈ってもらい、
家に遊びに行くようになり、
これまでで過ごした中でも特に素敵な年末年始を
過ごしたのもその家だった。
貧しくて、床も窓ガラスもないような家だったけど
愛がいっぱい詰まっている家だった。
「みつこ、今夜は眠って帰りなよ。
遠慮するな、ここにミツコのcamaがほら、あるだろう。」
手でベッドを示しながらフェルナンドさんはにっこり笑っていた。
見たベッドは真ん中は木が腐ってへこみ、シーツも
何度も洗われた、よく使い古されたものだった。
たいがい古いベッドでも寝てきていたけれど、
フェルナンドさんちのベッドはちょっと勇気がいった。
でも、ここで眠ることが私の親愛の情を示せる
その場でのやり方だと感じた。
明けがたまで庭で近所の人たちと踊り、
ベッドに横になったとき、ほっと力が抜け
ベッドが古いことも、シーツがヨレヨレなことも
全く忘れていた。
驚くほど寝心地の良いベッドに変わっていた。
そして、うとうとしかけたころ、フェルナンドさん夫婦が
起きて、新年のご馳走スープを作るために
炭火を起こす音が聞こえた。
それを聞きながら深い深い眠りに落ちた。
フェルナンドさんちのハンモックで何度昼寝をしたことだろう。
フェルナンドさんちのおいしい食事を家族や親戚や隣近所の
人たちと何度頂いたことだろう。
そのフェルナンドさんちが今、危機に面している。
息子のフェルナンディートは日本を離れるとき18歳だった。
折れそうに細くて小さい優しい眼をした男の子。
彼は料理の世界に入ろうと決め、料理学校に入学した。
お母さんの料理の腕は折り紙つきだから、
舌は間違いがない。
これはいいニカ食の料理人になるだろうと思っていた。
けれど、お父さんが失職。
日本人技師たちが、橋を作り終えたので帰国したのだそうだ。
それから3年近く、お父さんは仕事が見つからないそうだ。
フェルナンディートもせっかく入学した料理学校だったけれど、
調理道具を売り、最後に退学しなくてはならなくなったそうだ。
この間そんなメールが届いた。
フェルナンドがまた料理学校に通ってほしいと思う。
そのための資金が必要だ。
12月に行くとき、届けたいと思う。
共感してくださる方がいたら、メッセージをお願いします。