迫力ある美人が話す フランス語

私の同僚にものすごく迫力のある、美人な英語の先生がいる。
たまたま話しかけてみると、とても面白い、性格的にも迫力のある人だった。
それ以来、ちょくちょく わたしの事務所へ話しに来てくれる。
 
 
昨日の話が面白かったのでちょっと書いてみます。
 
 
「MITSUKO、今、わたしフランス語を習ってるのよ!」
 
「へぇー、すごいねぇ。わたしも習いたいけど、スペイン語をマスターしてからにするわ。」
 
「えー、一緒に習いましょうよー。
 フランス語で『こんにちは』 はね、“ボンジュール”(←鼻をつまんで)よ」
 
「え、こう?(わたしも まねして言ってみる)」
 
「キャハハー、やっだー。やっぱり おかまっぽーい!」
 
「へっ?」
 
「こんな腹に力を入れないで、フガフガ話すなんて、おかまっぽくない?
 わたし、先生に聞いたのよ。『先生はおかまなんですか?』って。」
 
「えええぇー!!!!」
 
わたし、大爆笑☆
 
 
確かにスペイン語の話し方と、フランス語の話し方って、天と地ほどの差がある。
 
特に彼女の話すスペイン語は、まるで硬い硬いクッキーを音を立ててかじっているみたいだし、マシュマロを舌で転がしながら遊んでいるようなフランス語を、彼女が話せるようになるとは思えない。
 
でも、彼女はフランス語習得が楽しくて仕方がない様子。
 
大げさに変な表情をしながら、フランス語で楽しそうに遊んでいる彼女を見て、
「何をしても楽しめる人だなぁ。ありゃ、天性の才能だな」と半ば感心し、半ば呆れた。

Baby shower

わたしの職場の人たちはビックリパーティーが好きだ。
もうすぐ子供を産む同僚のために、ベイビーシャワーをしようと、3週間ほど前からパーティー計画をこっそりと進めていた。
そして当日の木曜日。
ケーキを用意し、部屋を飾り、あとは同僚を待つばかり。
 
部屋に入って、驚く同僚。
みんなでケーキを食べながら、既に男の子で名前も決まっているその子どもの誕生を祈った。
 
 
そして、その日のクラスは、文化デー。
書道、折り紙、そしてお箸の使い方を勉強した。
みな真剣。
やり方で見直さないといけないところはあったけど、やってよかった。
こちらのフリホーレスと呼ばれる豆の「第一回 豆箸つかみ大会」は面白かった。
これからも、スケジュールをあわせながら、いろんな企画をやっていきたい。
 
 
そして今日の土曜日クラスの話。
日本へ2週間日本へ行けるというプログラムを使って、去年日本へ行った女性にクラスで話をしてもらった。
学生のために、と思って呼んだのだけど、私が聞いていて面白かった。
 
オートロックの部屋の中にカード式の鍵を忘れたのに気づかず、スーパーに忘れてきたのだと思って、スーパーや警察などへ行って探し回った話や、秋葉原で迷った話など。
ニカラグア人の目から見た日本の話。
やっぱり日本にいると、世界は見えにくいな、と感じた。
 
そして土曜のクラスを終え、家のハンモックで午睡。
暑い4月の気候も、ハンモックに寝ると風を感じて気持ちが良かった。
 
新しいうちには大きなアボガドの木がある。
この木に実っているアボガド、ほっぺが落ちるほどおいしい。
 
写真はそのアボガドの木と、ハンモックのあるお庭、そしてベイビーシャワーの様子と、習字の様子です。

花の金曜日

今日も朝からしたいことがいろいろ。
まずは大学へ行って、土曜日クラスの授業準備と、レベル3のテストを作る。
 
土曜日クラスは明日から、レベル5が始まる。
以前、レベル5を教えたことがあるので、その教案を見直していると、ひ、ひどい。
 
「よくこんなので、みんな我慢して聞いてくれてたなあ。」
と本当に申し訳なく思いながら、例文や教える順序などを修正していく。
 
昨日から手をつけていたのにも関わらず、土曜日クラスの準備だけで昼過ぎまでかかった。
 
それからテスト作り。
以前は「時間がない~」とひとりで焦って、自分の納得いかない教案やテストを作ってしまっていたが、最近は、めったなことでは焦らない。
なんとかなるだろう。と割りきれるようになった。
後のことや、時間はあまり考えず、やることに集中した方が、いい結果が出ることが多いからだ。
 
テストができてから、一旦家に戻り、荷物を置いて、事務所へ。
領収書の提出や、私書箱のチェックなどの用事を済ませる。
 
今日は私のBOXに親友から1通、大好きな先輩から1通、手紙が届いていた。
 
その先輩は私の会社員時代の憧れの人。
私はその頃、人生に対して斜に構えていたが、その先輩に出会ってから、生き方を変えた。
手紙の内容を読んでも、先輩はあの頃のまま、とても優しく、純粋だ。
あの頃の延長線上で、先輩と話をしているような、そんな風に感じながら読んだ。
 
そして、夜。
生徒が誘ってくれた、その生徒のコンサートへ、その生徒と同じクラスの学生達と一緒に行った。
その生徒はとても冗談が好きで面白い、クラスの人気者だ。
彼が歌うとまるで別人なので驚いた。
 
ニカラグアの歌を楽しそうに歌う彼を見て、「ニカラグアを愛してるんだな」と嬉しくなった。
 
夜がふけるにつれ、飛び入り参加で歌う人、手と手を取って、踊り始めるカップル。
みんなとても楽しそうだった。
 
オープンエアーのレストランで、今の時期とてもおいしいメロンとオレンジのミックスジュースを飲みながら、ニカラグアの音楽を楽しんだ夜でした。

引越しして良かったこと

新しい下宿先に移ると、「これ、どうしたらいいのかな?」 と 思うことが出てくる。
例えば、洗濯物はどこに干したらいいか、だとか、ゴミがたくさん出たときはどうするしたらいいか、だとか。
とても小さいことだけど、聞きにくい人と聞きやすい人と、いるように思う。
 
前の家の大家さんもそうだったけど、今度の家の大家さんも 本当によく気がついてくれるので、とても助かっている。
そして、なんでも聞きやすい。頼みやすい。
 
例えば、今朝は一緒にスーパーへ連れて行ってもらった。
スーパーへ行きたいなぁ、と今朝、ちょうど思っていたところに、偶然大家さんが誘ってくれたのだ。
なかなか行く時間が取れないので、とても助かった。
 
また、今朝、
「ベッドのクッションがやわらかすぎるんだけど、変えてもいい?」
と言ってみた。
すると、買ったばかりのクッションに置き換えてくれた。
 
自分も気を使わず、下宿人にも気を使わせず、下宿させる術を知っている大家さん。
今、私はとても暮らしやすい家に住んでいる。

セマナサンタ最終日はマナグア観光

9日間あったセマナサンタもあっという間に最終日。
最後の日曜日は、マナグア観光へ。
 
まずは市内が一望できる小山へ仲間3人と向かった。
しかし足止め。
警備員達が入ってはいけない、と言う。
仕方がないので階段に腰掛けながら、警備員とぺちゃぺちゃ話しているうちに、「行ってもいいよ」と言ってくれて中に入ることができた。
小山に登る途中、ニカラグアの国鳥を見つけた。
ここでそれを見られるのは稀なことらしい。
綺麗な色をした不思議な鳥だった。
 
小山を上がりきったらそこは眺めの良い、私の大好きな場所。
1月頃、ちょっと辛かったときもここへ連れてきてもらったっけ。
私が特に好きなのは、大きなマナグア湖と、その向こうに見えるモモトンボとモモトンビートと言う火山。
そして反対側にあるティスカパと呼ばれる、インディヘナの名前を持つ小さな湖。
 
マナグアを一望したあと、旧市街地の故宮博物館へ向かう。
残念ながら、ここの博物館も今日は閉まっていた。どうやら今日は美術館、博物館は諦めるしかないようだ。
 
タクシーに乗りこみ、中華食材屋さんへ向かう。
中華食材屋さんの品揃えが一気に豊富になっていてビックリした。
 
ラーメン、うどん、中には生麺まである。他にはお味噌、酢味噌、からし、わさび、しょうゆ、そうめん、豆腐、パン粉、天ぷら粉、海苔、綱こんにゃくetc…
これなら“日本食材屋サン”と言っても通用しそうなほどだ。
 
友人に頼まれていたものを全て購入でき ホッ としたところで、昼食を取るため casa del cafeへ向かった。
 
そのcafeは気持ちの良い風が通るところにある。2階が客席になっているそこは 広々としていて気持ちが良い。
おいしいコーヒーとパンを楽しみながら、去り行くセマナサンタを懐かしく思った。
 
一度連絡所へ戻り、荷物を取って、新しい家へ向かった。
まだ数回しか行ったことのない我が家。初めて自分の鍵を使って中に入るので、時間がかかった。
 
大家さん夫婦はやはり素敵な人たちだった。
始末して暮らしており、家は贅沢な造りだけど、暮らしやすくちゃんと整えられている。
無駄な話はしないけど、必要なことは必要なときにちゃんと説明してくれる。
さぁ、明日からまた活動開始。
久しぶりに学生達に会うのが楽しみだな。

コンセプシオン デ セマナサンタ

セマナサンタの一大行事。「コンセプシオン デ セマナサンタ」を見るため、レオンへ向かった。
 
午後3時、レオンのカテドラル(大教会)横のハンバーガー屋さんで遅い昼食を仲間4人と取りながら、レオンに住むニカラグア人の友人が来るのを待った。
 
友人が「カテドラルに着いたわよ」と電話してきたとき、私の口には まだハンバーガーが。
もう食べ終わった友人が迎えに行ってくれた。
いつもおしゃれな彼女は、いつものようにおしゃれな格好で登場。
仲間を一人ずつ紹介してから、カテドラルへ向かった。
 
カテドラルの中ではミサが行われていた。
レオンの大司教が集まっており、中は神妙な雰囲気。
その日は「キリストの受難の日(キリストが午後3時に十字架に掛けられた日)」、ということで、ミサの後、キリストの像を担いだ神輿が町を練り歩くのだ。
 
ミサの後、レオンの少し中心から外れたところへ、“アルフォンブラ”と呼ばれる、おが屑に色をつけたもので描かれた絵を見に行った。
道の上にはたくさんの、聖書に由来した絵がたくさん描かれていた。その絵を描いたのは絵の両側にある家の主人。
ということは、どれも素人作なのだろうか。
ニカラグア人の友人に絵の意味を確かめながら、一つ一つ見て歩く。
グアテマラでは、これが花で描かれるらしい。
 
あと数時間後、この絵の上を神輿が通り、絵は全て消える。
消えるのを知っていて、皆、これのために時間をかけて、丁寧に仕上げているのだ。
 
 
夜。
暗くなってきたころ、大行列が、悲しげな曲に乗って現れた。
道の両側にはたくさんの人、人、人。
道のところどころでは、子供や大人による 聖書の一部の場面を表した物語が作り上げられている。
劇ではないので、みんな人形のように動かない。
かわいい男の子が、青く髭を生やしたりしているので、ちょっと笑ってしまった。
 
頭上には、キリストの魂を表す白い鳩が入った箱が、家々の軒先に吊るされている。
夜、箱から外に飛ばすそうだ。
その上には満月。
満月の日を選んで、この行列は行われるらしい。
夜遅くまで楽しんだ後、アルマジロ料理などが入ったお皿を頂いて、友人の家に泊めてもらった。
本当によく歩いた1日。
 
 
翌朝、7時起床。
盛りだくさんのフルーツが並んだ食卓で 朝食を頂いていると、懐かしの“ミィちゃん”が現れた。
 
“ミィちゃん”は私がマナグアに着いた当初から、隣に住んでいた友人が飼い始めた猫。
私もよく可愛がっていた。
それが去年の年末頃からバケーションを過ごしにレオンに行った後、ここに住み着いてしまっていたのだ。
久しぶりの再会!
すっかり成人した“ミィちゃん”は挨拶を交わした後、すっと消えてしまい、それからは現れなかった。
 
朝食後、大好きなピニータ海岸のスヤパビーチへ向かうため、市内地へ向かった。
本当はニカラグア人の友人と一緒に行く予定だったのだけど、彼女はセマナサンタ中、遊びすぎたためか、その朝咳が出ていたため、ママストップがかかり、行けなくなった。楽しみにしていた彼女はとても残念がりながら、でも「楽しんできてね」と送り出してくれた。
 
タクシーを拾うため、道へ出ると、なんだかまた知っている人の空気を感じた。
「イルビン!」
口が勝手にそう叫んでいた。
自転車に乗った彼は自転車を止め、私のほうを振り返ってゆっくり戻ってきた。
 
「何でここにいるの?セマナサンタはどうしてたの?」
「私たちはコーン島に行っていたの。今からスヤパビーチへ行くの。良かったら一緒にどう?」
「行きたいけど、何も持ってないし、ちょっと用事があるんだ。残念だけど。楽しんでおいでね。」
 
彼は私のマナグア生活を応援してくれる人。友人の元彼、といったところ。
イルビンと別れ、タクシーに乗り込み、海へと向かう。
 
この道を走るときは、いつもワクワクする。なぜなら子供の頃、夏毎に行った日本海のように、長い坂道を越えると急に海が広がるからだ。
スヤパホテルには午前11時半に着いた。
海に面したホテルのレストランでおいしい魚料理を食べ、友人達と会話を楽しんでいたところに現れました。
再びイルビン!
 
「MITSUKOが行くって言うから、追いかけて来ちゃった。」
 
まだ少しあどけなさの残る彼と、友人と3人で海に入る。
ここは波が高いので、頭の上から波をかぶりながら楽しんだ。
何と彼は海に入るのは10年ぶりくらいらしい。どうりで彼がいつも色白なわけだ。
 
海で泳ぎ、飲み物を飲んだ後、海岸沿いに歩いてバスに乗って帰った。
彼はここでもやっぱり紳士で、バスの料金係に私たちの分のバス代を支払った後、少し多めに渡しながら「レオンまで彼女達を守ってあげてくれ」と言ってバスを降り、彼はピニータビーチに1人、残った。
 
ところで“スティヤパ教会”というのが、レオンの外れにある。
そこはその昔、インディヘナの人たちの町の中心だったところ。
味のある造りの教会は外観を見ただけでもその歴史を物語っている。
 
海からの帰り道、その教会を覗いてみるとミサの準備をするため扉が開いていた。
中は木製の簡素な造り。
天井には ここの教会の象徴である 顔の描かれた太陽の木彫りが 教会全部を 見ている。
ニカラグアの教会、中でも レオンの教会は それぞれにとても個性があって 味わい深い。
 
私はここの教会が すっかり気に入ってしまった。
今度友人が日本から来たとき、この教会と、その横にあるインディヘナ美術館も立ち寄ってみよう。
 
当初、レオンで2泊する予定だったが、見たかった美術館やお店が閉まっているところが多かったので、荷物を持って、マナグアへ戻ることにした。
帰りのミクロブス(バン自動車のバス)の中で、隣に座ったおじさんと話が弾んだ。
 
彼の職業は医者で、“ロス ピピートス”という児童施設で働いている。
1年中、ニカラグア中を飛び回っており、先週も友人が住む辺境の土地(失礼!)ヌエバギネアへ行ってきた、と言う。
1週間に2,3日はマナグアで過ごし、後の日は出張。
大変だけど、とても充実している様子。
「大変なお仕事ですね」と言うと
「じっとなんかしていられない性分でね」と笑った。
 
1年に1回、毎年8月にはオランダである国際会議へ行くので、英語も話せ、世界中に友人がいるらしい。全く世の中にはすごい人が多いものだ。
メールアドレスを交換し、バスを降りて、また会おうと約束した。
 
*たくさん写真を撮ったのに誤って消してしまいました。ショック (>_<)

コーン島の旅

セマナサンタ、この休日についてどう書こうかな。
とにかく、よく笑い、よく遊んだこの1週間。
そしてまたまた、それぞれの土地で友人に出会った。
そう、不思議なほど、私はもともとよく出先で知人・友人に会うのです。

土曜日の早朝の飛行機に乗るため、引越しをした金曜日。
家の人に迷惑をかけないよう、一緒に行く同期のみんなと一緒に「連絡所」と呼ばれる宿泊所に泊まることにした。

連絡所に泊まるのはまだ3回目。

夕飯にハンバーグのおろしポン酢がけ、ポトフを、仲間と作って、食べた。
翌日からの休日に思いを馳せ、少し興奮気味の仲間達。

翌朝、午前4時 起床。
手早く身支度を整え、友人が淹れてくれたコーヒーを飲み、真っ暗な中、連絡所を出る。
空港に着いたのは5時。まだ事務所が開いてなく、外で待ちぼうけ。東の方から白々と夜が明けてくる。
事務所が開いて、カウンターで手続きを済ませ、手続きの済んだ仲間の方へ向かうと、誰かが私を呼んでいる。

アナウアック!彼は私の生徒の一人。
聞くと、故郷のプエルトカベッサスで休暇を過ごすらしい。
愛すべきキャラクターの彼と、お互いの楽しい休暇を祈りつつ別れ、飛行機乗り場へと向かった。

へっ!ち、ちっちゃい☆
あの小さなプロペラ機で行くのぉ~。
そう、目の前にはとても小さな、プラモデルのような飛行機があった。
プルプルプル~、と羽が回り始め、出発。
大丈夫かなぁー。

飛行機嫌いの私ですが、プロペラ機、なかなか楽しめました。
と、いうのも、操縦席の機材が私たちの手の届くところにあり、パイロットさんの背中を近くに見ながら飛ぶのです。

20人乗りほどの小さなプロペラ機が飛び立つと、住み慣れたマナグアの町がミニチュアのように眼下に見えてきた。
マサヤ火山は休むことなくポッポと噴煙をあげ、マナグア湖、ニカラグア湖は大きく水をたたえ、まわりに小さな湖が転々とある。
上から見ると、茶褐色の大地。
そっか、この広い大地の上で、今、私は暮らしているのか。

飛行機の上から見るニカラグアは、集落がぽつん、ぽつんとあるだけ。
あとは広い、広い大地が広がっている。
ほとんど手付かずだ。

しばらくすると、穏やかな色をしたカリブ海の上へ出た。
綺麗な海を眺めていると、あっという間にコーンアイランドへ到着。
空港は茅葺屋根の小さな小屋。可愛すぎてちょっと笑ってしまいました。

予約していたホテルまでタクシーで向かいます。
左手に漁港を見ながら、右手に集落を見ながら。

着いたホテルは海のすぐ側。
時刻は午前8時半。

朝ごはんを食べようとホテルのレストランへ入り、メニューを見ていると、はい、また知っている人の顔がありました。
彼は私が引っ越した家を見に行ったとき、一緒に行ったスペイン人。
結局同じ家に住むことはなくなったけど、まさかこんな所で会うなんて!
彼の話では、マナグアの便利なところに、気に入った家を見つけたらしい。
お互い気に入った家を見つけられて良かったね、またUCAで、と言ってそれぞれの席へ。

朝食にオムレツと朝ごはんのセットを食べ、部屋に荷物を置いて、さぁ海へ!

遠浅の穏やかな海にきれいなお魚がいろいろ泳いでいるのをシュノーケリングで楽しみながら、ゆっくり過ごした1日目。
晩ごはんには久しぶりに魚やエビなどのお料理をたくさん頂きました。

 
2日目は前日に申し込んでいた、船で沖に出てのシュノーケリング。
船に乗るのが大好きな私は、とても楽しみにしていた。
4人の西洋人と一緒に私たち7人は船に乗り込み、いざ出発。
大きな波をザブン ザブンと乗り超えながら少し沖へ出た頃、1回目のシュノーケリングポイントに着いた。
「さぁ、入るぞ~」
と海の中へ後ろ向きに入った。

ごぼごぼごぼっ。

大量に海水を飲んでしまった。

おかしいなぁ。シュノーケルをつけているのに、こんなに大量に水を飲むなんて。
もう一度。
ごぼごぼごぼっ!
もう駄目だ。苦しすぎる。借りたシュノーケルにはどうやら穴が開いているらしい。

船の方へ折り返し、上へ引き上げてもらうと、大量に海水を飲んだせいか、かなり気持ちが悪い。血の気が引いていくのがわかる。
しかし船の上にいても、さらに酔ってしまう。
せっかく来たのだからと、救命胴衣を身体に巻きつけ、別のシュノーケルをつけて再び海へ戻った。

今度のシュノーケルの調子は良かったけど、私の調子は、もう悪くなる一方。
目の前がクラクラしてくる。何度か海の中でもどしながらも、海の中を一通り見て、船へ上がった。
「ごめん、ホテルへ戻して。」

ホテルへは2人の友人と一緒に戻ったが、私はもうフラフラ。
気持ちが悪いけど、びしょ濡れでベッドにも座れない。
そんな中、一緒に戻った看護士の友人が、自分もしんどいのに椅子を見つけて手際よく座らせてくれ、温かい玄米茶を煎れてくれた。

30分ほど椅子に座って うとうと していたら、他のみんなが戻ってきた。昼食を食べに行こうと言う。
私はシャワーを浴びて、ベッドで休んでいるからレストランへ行ってきて、と頼み、シャワーを浴びてから ベッドに横になって一眠り。

起きると、まだみんなお昼に行っていなかった。
少し眠って、気分も少し良くなったので、一緒に行くことにした。

昼からはぶらぶら島を散歩しながら“パンデココ”というココナッツミルク入りのパンを翌朝のごはん用に買ったり、Tシャツ屋さんを覗いたりしながらのんびり過ごした。

3日目は“リトル”と呼ばれる、コーン島から見えている小さな島へ渡った。

船がすごく揺れるということを、前に行った人から聞いていたので酔い止めを待合室で飲み、船を待った。

その間に友人に借りて読んだ本は 「生協の白石さん」
東京農業大学の生協で、学生達が投稿する要望カードに対して「白石さん」がコメントを書いて掲示した内容が素晴らしくて、インターネットで有名になり、書籍化されたものだった。
学生の楽しい投稿に、白石さんが返答する、その見事でチャーミングなこと、思わず笑ってしまった。

「船が来たよ」の合図で一斉に荷物を持って乗り込む。

船は30人乗りくらい。
前から2番目に座って出発を待つ間、1人島に残ってゆっくり楽しもうという友人に写真を撮ってもらった。
いよいよ船が出発。またねー、と友人と手を振り合う。

船は遊園地のアトラクションより、遙かにすごかった。
気分が悪くなる余裕なんて、全くない。
船先がそそり立ち、私たちは急な坂を上るジェットコースターに乗っている様。
それがザップン ザップンと波を駆け上ったり、急降下したりするものだから、客席、特に前の方からは「キャァー」とか「ヒエー」とか叫び声が上がる。
年末の、ニカラグア湖の船も横揺れが激しかったけど、やっぱりこっちは海。
激しさはこちらがすごかった。

30分ほど経った頃、島に到着。
砂浜に降り立つと、なんだか島の感じがとてもいい。
海の色も更に綺麗。
なんだかとてもワクワクしてきたゾ。

この島では1泊の予定で、また元の島(ビッグコーン)へ戻り、もう1泊してマナグアへ帰る予定。
それがここへ来て1泊じゃ全然足りないことに気づいた。
もっと居たい。ここでもっと過ごしたい。
歩けば歩くほど、泳げば泳ぐほど、そう思った。

海に潜って魚や珊瑚を見たり、おいしいキューバ料理を食べたり、フレッシュジュースを飲んだりして、ゆったり楽しんだリトルコーン。
機会があったら、今度は1週間ほど取って、ここでゆっくりバカンスを楽しみたい、と思った。

そうそう、ここでも、朝、海沿いを友人と散歩していたとき、すれ違った男の子が気になったので振り返ると、向こうも私に向かって振り返っている。
「オスカル?」
「ミラグロス!」←これ、私のスペイン語名☆
とお互いを確認して、大笑い。まさかこんな小さな島でも知り合いに会うなんて。
本当に世界は狭い。

ここで出会った彼は、1,2月に私が通っていた英語クラスで一緒のクラスだった人。英語が苦手でいつも頭を抱えていたっけ。
聞くと、彼女と一緒にセマナサンタをここで過ごしに来た、とのこと。
朝の、ほんのほんの一時で出会った偶然を、ここでも楽しみました。
この旅、偶然の出会い、これで3人目。

4日目の午後2時の船でリトルコーンに「また来るね」と言いながらビッグコーンへ戻る。
帰りは海が穏やかで、ほとんど船は揺れなかった。船の操縦もうまかったように思った。

船着場ではビッグコーンに残っていた友人が、待っていて迎えてくれた。
彼も良く日焼けしたなぁ。
私も驚くほど日焼けして、鏡で見ると自分じゃないようだ。

ホテルへ着くと、予約していた部屋が埋められてしまっていた。前々日、何度も確認しておいたのに。
別の部屋を探しに向かう。

いろいろあった後、とても良いホテルを友人が押さえてくれた。
そこは元々、私たちが泊まりたかったホテルだった。
ロッジのようで、1部屋で全員が泊まれる。
冷蔵庫も、シャワーも、トイレも、ハンモックも付いている。
これで一人1000円ちょっと。

シャワーを浴びてから、夕焼けを見に海辺のデッキチェアーに寝そべる。
はぁー、白砂が真っ白で、細かくて、キモチイイなぁー。

夕食はホテルの雰囲気の良いレストランで豪華な食事を頂いた。
大勢でおいしい食事をワイワイやりながら囲む。こんな贅沢ってないな。

5日目。最終日は展望台へ行こう!ということになった。
タクシーの運転手さんさえ知らない展望台へ、地図を片手に説明しながら向かう。
展望台は「パラヤー(あっちの方)」とばかりに遠くに見えた。
展望台の前にある小学校までの長い坂道を登りながら、私が通った三木高校への坂道を思った。

展望台ははしごを登る。高さは10mほど。
高所恐怖症気味の私は恐る恐る、友達のお尻を見ながら、一歩一歩、手元と足元に注意しながら、登った。

展望台からの眺め。最高でした!
島が360度全て見渡せ、向こうには私たちが昨日過ごした愛しのリトルコーンが見えた。
青い海、青い空、青い島。
素敵なものを、素敵な仲間と感動できる。こんな幸せってないな。

午後、空港へ向かう。
この間島に残った友人はビッグコーンが大好きなのであと2泊する、ということで私たちを見送りに来てくれた。
チェックインして荷物を預けた後、滑走路を歩けるということで、歩きに向かった。

滑走路で、Gメンのように、7人並んで写真を撮ったりした。
でも、正午過ぎの太陽はきつすぎる。

陽炎の浮かぶ滑走路は暑すぎるので、早々に屋根のあるところへ移動。
そこでゲームをしたのが、おもしろかった。
思いっきり笑ったり、残念がったり。
私の仲間は子供のように遊べる人たち。楽しい仲間が出来て良かった!

ビッグに残る仲間に「またマナグアで」と手を振り合って、待合室へ移った。
ここはとても涼しく、読み残しの本を読んで過ごした。

マナグアに着いたのは午後5時ごろ。
夕飯に友人達と お好み焼き、焼きうどん、大根サラダ を作って食べる。

翌日からレオンのProcesion de Semana Santa(セマナサンタの行列)を見に行くため、この夜も新しい家には帰らず、連絡所に泊まった。
 
めいいっぱい遊んだセマナサンタ。まだまだ続く・・・

引越し

今日、引越ししました。
今度のところは大学から徒歩5分のところです。
 
前の家の大家さんや、一緒に住んでいたキューバ人たちに手伝ってもらったおかげで、ものすごくスムーズに引越しできました。
引越しして2時間後にはインターネットもつながりましたしね(笑)
 
今度の家はクローゼットが大きくて、かなり快適です。
大きな家なので、守られている感じがして、なんだかほっとします。
それにとても静かです。
前の家のように、一日中、ココナッツの葉っぱが屋根を擦る音も聞こえませんし。
 
前の家の人たちとのお別れは辛かったけど、バスで2駅の距離だから、またいつでも会えるでしょう。
ただ、置いてきた“そら”が心配で。。。
昨日は私の引越しを察知したのか、ずっと私の足元から離れませんでした。
いつもなら、ごはんを食べたらさっさと恋人とお散歩に行ってしまうのに。
 
ところで明日からカリビアンアイランドでバケーションを楽しんできます。
ですので、ここでの生活が本格的に始まるのは17日からになります。
 
ちなみに家にはおじいちゃんとおばあちゃんがいます。
今日、おじいちゃんに
「スペイン語あまり上手に話せないけど、よろしくね」
と言うと
「わしゃ、日本語が話せるんだよ。ただし、真夜中だけな。」
ですって☆
 
今度、夜中に起こしてみようかしら。ウフフ。

4月の思い出

4月最初の月曜日。
ここ、ニカラグアでも入社式などあったのかな。
今日から またマナグアでは バスがストライキに入ったから、町の人たちの様子を見られなかったのは、残念。
 
4月に入ると思い出すのが 10年前の入社式。
あのときは本当に身震いがした。
「入りたい、入りたい」と思っていた会社に入れたことを、会社のホールで実感しながら、
「これからどんな毎日になるんだろう。明日からどんな仕事をすることになるんだろう。」
と柔和な表情で話す 社長の話を聞きながら考えていた。
 
働いていたときは、想像を遙かに超える仕事をさせてもらい、充実した毎日だった。
思う存分仕事も、遊びもし、泣いたり、怒ったり、笑ったり、あの頃は本当に忙しかった。
素敵な上司や同僚、お客様たちにも出会えた。
飛び込みで仕事をするのは辛いこともあったけど、素晴らしい人にも出会うことができた。
 
毎日仕事をしながら、日本語教師の資格を取り始めたのは、入社8年目の夏だった。
働きながら、日本に住んでいる外国人たちに日本語を教えるボランティアを始めたのが、その1年後。
そのボランティアを通して知り合った、私にとって宝物のような友人達との経験と、私が昔抱いていた夢をふと思い出したことから、日本語教師として海外で働く道を選んだ。
 
小さい頃から考えてきたこと、会社で経験したこと、出会った人々、見たこと、読んだこと、感じたこと、習ったこと。
その全てが今の道につながっていた、と思う。
 
そして今、ニカラグアに私がいる。
今月の11日で、ニカラグアに来て10ヶ月目を迎えます。
みんな、わたしは元気です。

マンゴーが 熟れる ころ

マンゴーの木に 硬い実がつき始めた頃に開講した土曜日クラスが、今日 10週間の時を経て ようやく終了した。
 
今日は土曜日クラスの最終日。
学生達は日ごろの勉強の成果を真剣にテストに刻み、結果を持って帰って行った。
いい結果の子、あんまり良くなかった子、惜しい間違いをたくさんした子。
いろいろだったけど、みんなそれぞれよく頑張ってくれました。
日本語で問題を読んで、日本語で解答が書けるようになった。
それはとてもすごいこと。
だって、まったく知らなかった文字を読もうとして、たとえ間違えたとしても解答を書こうと努力したんだから。
日本語の場合、ひらがな・カタカナ・漢字と3つの文字が1つの文章に入り混じって構成されている。
それを読んで、答えを書いて、丸だったってことは、それまでにすごい努力を積み重ねてきたってことでしょう。
たとえ30点でも、40点でも、ちゃんと勉強しないことには点数が取れないんだから。
 
成長の度合いは人それぞれでいいんだよ。
みんな着実にそれぞれのペースで成長してる。
さあ、セマナサンタの休みが終わったら、いよいよレベル5に向けて出発だ!
 
庭のマンゴーは今、熟れてたわわに実っている。