ジャデルさんの出発

 
 
 
「日本語クラスのジャデルさんの送別会はうちでしましょう」
と、同じクラスの学生のお父様が言ってくださったのが
1月の終わりごろだったと思う。
 
あれからあっという間に月日が過ぎ、
3月最後の日曜日、送別会が行われた。
 
必要なメンバーがきっちり集まり、
とてもほのぼのとした会になった。
 
穏やかな気性のジャデルさんの周りには
とても魅力的な友人が集まっていて
わたしもその仲間に加わらせてもらって
楽しいときを過ごした。
 
食事は日本とニカラグアのお料理が並び、
食後にはそれぞれが歌を歌い、
最後にジャデルさんからの言葉があった。
 
私は歌う前に、私はニカラグアに来る前、
ニカラグアについて集めた少ない情報から
ニカラグアでは到底暮らせないと思って、
3日間、行こうか、どうしようか悩んでいたけど
今は来て本当に良かったと思っている
というような話をしたら、
ジャデルもちょっと同じような心境なのか
ちょっと自信をつけてくれたみたいだった。
 
駒ヶ根の語学の先生に
"Antes de venir aqui, ~ ”(ここに来る前は、 ~)
と言う構文の自由練習を嫌と言うほどさせられたけど、
結構こっちで役に立っているかも。
 
 
そしてジャデルの言葉を聞いて、
本当に幸せな気持ちになった、
日暮れのことでありました。
 

3月27日の日本文化紹介 「花見」

 
 
昨日は「お花見」がテーマでした。
部屋にはぎっしり11人の男の子たちが集まってくれました。

初めに「お花見とは何ぞや?」を紹介するため、
DVDを見てもらって、ボンヤリ理解したところで
みんなで「春の小川」と「さくらさくら」を歌いました。

それから桜の咲く時期やお花見のときの飲みもの、お花見弁当の紹介、
それから日本の桜の名所紹介をして、桜の折り紙教室で締めくくりました。

 
「はなざかり」という言葉が「さくらさくら」の歌の中で出てきたとき、
女の人にも使うことを言うと、アシスタントのJが
「わたしはいつでも花盛り~」なんて言ったので
「わたしもいつでも花盛り~」と言って、
クラスのみんなで笑いました。
ニカラグアはぐんぐん気温上昇中。
そんな中の 「お花見紹介」
 
 
ニカラグア人たちも花は大好き。
こちらのフラワーアレンジは鮮やかなお花を大胆に使ってとても美しいし、
落ちている美しい花を拾って、さりげなく耳にそっと飾ったり。
 
やり方は違っても、花を愛でる心は同じだと思います。
 

植村直己 「北極圏1万2千キロ」

 
 
 
私が小学2年生のとき、
姉と2人で神奈川に住むおじの家に遊びに行ったことがある。
 
おじの家に遊びに行ってから毎日雨続きで、
裏山から見える富士山を私たちに見せたかったおじは
1週間の滞在予定だったのを、母に連絡して
もう1週間延ばしてもらっていた。
 
きっと台風が来ていたのだ、と思う。
毎日毎日よく降る雨。
そんなある日、おじは突然私たちに
「今日は映画を見に行こう」
と言い、いとこと私たちを連れて映画館へ行った。
 
その頃、まだ映画など見たことがなかったような気がする。
 
期待に胸を膨らませて見た映画は
「南極犬物語」
だった。
 
印象的な音楽が頭に残ったものの、
犬がたくさんいたなぁ、
いったいこの映画はいつ終わるのかなぁ、
と、良さをちっとも理解せぬまま、
なぜおじが私たちにこの映画を見せようと思ったのかを感じぬまま
映画館を後にした。
 
あれから24年が過ぎ、最近ふと手を伸ばした本が
植村直己さんの本だった。
 
「青春を山に賭けて」
「極北に駆ける」
そして「北極圏1万2千キロ」
と3冊一気に読みきった。夢中で読んだ。
 
自分の夢をまっすぐに追いかける姿、
犬とともに自分を信じて走る姿。
 
本を読みながら、あの時見た映画の場面場面が
感動的な音楽とともに頭に浮かび上がる。
 
 
山登りが大好きなおじが
なぜあの映画を選んだのか、
この年になって今ようやく少し理解することができたような気がする。
 

待望 扇風機

 
 
 
私の部屋の天井には電気と一体型のファンが回っている。
 
昨日、切れた電気を取り替えてもらうとき、
ママがファンの紐を引っ張り、
ファンの切り替えが利かないことに気づいたらしい。
 
実は私が来たときから引っ張りにくかったのだけど、
私は癖をつかんでいたから頑張れば切り替わっていたし、
もちろん不便だったけどずっと言っていなかった。
 
 
ところでこのファンという代物。
見た目にはおしゃれだし、場所を取らなくて良いのだけれど
熱い空気をかき混ぜるだけで、アスファルトが溶け出すような、
この厳しい暑さの時期にはあまり役に立たない。
 
 
ママの部屋にあった扇風機を、
ファンの故障が直るまで借してもらえることになった。
 
据え置き型の扇風機は、この家に引っ越した当初、
買いたかったけど、買えなかったものだったので
意外な展開で念願が叶った。
昼食後のお昼寝がさらに心地よくなって
寝過ごしたりして。
 

ニカラグアの家族

 
 
 
昨夜、シャワーを浴びて部屋に戻ると、
つけていたはずの電気が消えてまっ暗だった。
 
防犯のことを考えて、
夜、部屋の電気はつけっぱなしでシャワーを浴びるから、
誰か侵入したのかと思って、かなり怖かったが
電気が切れていただけだった。
 
朝になってママにそのことを言うと
 
「必要の無いときにあなたはいつも電気をつけているから
 電気が切れるのよ。
 夜遅くまで電気がついたままだし。
 しばらくそのままで生活しなさい。」
 
と言われ、唖然とした。
 
ニカラグア人は電気にとても敏感だ。
友人の家は夜10時以降は電気を使ってはいけないと言われ、
それならばと家を移ったほどだ。
 
わたしも家族に不満がないわけではないけど、
ママたちもわたしに不満があったわけだ。
 
でもよく考えてみるとママの言うことは正しい。
電気は大切にしなければ。
 
 
そして家を出たところではパパに呼び止められ、
 
「昨夜は門の錠が下りてなかった。
 気をつけろ」
 
と言われた。
 
そんなはずはない。
毎晩必ず揺すってしまっているかどうかちゃんと確認しているから。
 
 
はぁー、注意を受けるって言うのは家族の一員になってきた証拠なのかなぁ。
 
 
でも思わず、家を出てしばらく歩いたところで
 
「うるさーい!」
 
と日本語で3度叫んだらすっきりした。
 
 

2人の 「翔」

 
 
マンゴーが実り、ブーゲンビリアが輝くこの季節に
大好きだった同期で現職参加の2人が
先ほど任期を終えて、マナグアの空港を飛び立ちました。

2人は先生なので、4月からの新学期に備えて、
私たちより1足早く帰国していったのです。

1年と9ヶ月、いろいろなときを2人と過ごして
いろいろな表情を見てきました。

笑ってる顔、泣いてる顔、喜んでる顔、怒ってる顔、そして幸せそうな顔。

ここで、あなたたちと一緒にこのときを過ごせて本当に幸せでした。
本当にありがとう。

今度は日本で会いましょう。

土曜日コースの中間試験

 
 
今日は土曜日コースの中間試験は
前半に復習をして、
後半に試験をします。
 
いつも終わったその場で採点して、
違うところにチェックを入れ、もう一度考えるように伝えて、
最終チェックをして返します。
 
学生たちの真剣な表情。
ぴりりとしまった空気。
 
勉強した人、しなかった人、見て一発でわかってしまいます。
ああ、わたしの中・高校生時代もこんな風に先生にバレていたんだなぁ
と苦笑いしながら採点していました。
 
 
来週からは動詞の「命令形」を勉強するよ。
 
みんな、頑張れ!
 
 

リリアン

 
 
ニカラグアに東洋医学の治療院があります。

うちのお手伝いさんのリリアンは骨折して以来、
「足が痛い」
と、足を引きずって歩いていました。

セントロ・デ・サルーという、公共の医療施設で見てもらっても
原因ははっきりしないまま。

そして最近は、骨折した右足だけではなく、
左足まで痛くなってきたと言っていました。

日によって痛みが違うようですが、
あの明るいリリアンが痛そうなときは顔を歪めていました。

以前はリリアンを日本へ連れていかなければ治らないのかも、
と思っていましたが、
先日わたしが受けたバウティスタ病院の治療がとても良かったので、
ニカラグアでも良い治療が受けられるところはあるんじゃないか、
と気づき、そこも以前に一度行った、
日本人の方が運営・治療されている東洋医学のクリニックに、
わたしが帰国するまでに一度連れて行きたい、
と思うようになりました。

但し、問題は治療費。
リリアンのお給料は一日中、休みなく働いても、
土日も別の家で働いているのに
ほんの僅か。

そしてわたしたち協力隊員も現地の人たちと
同じ水準で暮らすための生活費をもらっているので、
余裕のお金は全くといっていいほどありません。

治療院へ連れて行くことを思いついてから
1週間ほどどうしようか考えていましたが
ちょうどその翌週、3月14日がリリアンの誕生日だと知り、
治療院の初診料をプレゼントすることを思いつきました。

それをリリアンに伝えると、治療院に行けることを喜び、
それから初診料の半額はわたしが払うわ、と言ってくれ、
これにはわたしも驚きました。

そうして、今日の午前9時に予約を入れ、
出発する用意をしているとママが
「行くわよ」
と言うではありませんか。

「?? どこへ??」

「クリニックよ。
 わたしも背中と肩が痛いから見てもらいたいの。」

車で連れていってもらえるのはありがたいなぁ。
それにしてもなんてちゃっかりしているんでしょう。

それから女3人で少し離れたところにあるクリニックへと向かいました。

風が吹き通る天井の高い受付で手続きをしていると、
先生がいらっしゃいました。

先生はわたしの日本語クラスの学生のお父様。
普段わたしが見ていた、娘を送り迎えしている方とは
別人のようでした。

先生はリリアンを連れて診察室に入っていって
しばらくしてから出てこられました。

「骨折をしたときの後遺症でしょうね。
 あとは関節炎。
 左足も右足をかばっているから痛くなっているけど、
 治りますよ。大丈夫。」

ずっとその言葉が聞きたかったのです。
ああ、良かった!

待合室で2人の治療が終わるのを待っているとき、
このクリニックでたくさんのニカラグア人が働いていることに
感心していました。

ここでは昨年、大学も新設され、
今、ニカラグア人が東洋医学を学んでいます。

ここまで来るのに、どんなにたくさんの
紆余曲折を経験されてきたのでしょうか。

診察を終えて出てこられた先生とお話しているときに
そのことをお伺いすると、
「いやぁ、楽しみながらやってますから」
とおっしゃっておられました。

たった2年の生活でヒィフゥ言っている自分が恥ずかしくなりました。

リリアンをクリニックに連れて行くまでは
いろいろ難しく考えていましたが、
原因も分かり、本当にすっきりしました。

これから2人はしばらく通院することになるようです。
ママもリリアンと通院できるのが嬉しい様子。

わたしはもうすぐいなくなるし、
これからママがリリアンの分も面倒見てくれれば、
と秘かに願っています。

リリアンの足が良くなりそうで本当に良かった!

春のそよ風

 
 
尊敬する女性の1人に、
会社員時代の先輩がいます。
 
彼女はいつも笑顔で、凛としていて
自分が歩きたいと思う方向に向かって
自分の速度で歩んでいる人でした。
 
彼女に出会い、私は
「もしかしたら人生って
私が思っているよりも
ずっと良いのかもしれない」
 
と信じることができるようになりました。
 
私が二十歳の頃でした。
 
 
そんな彼女は私が入社2年目の終わり、
春を迎える頃、
とても素敵なパートナーと出会い、
結婚退社してゆかれました。
私は入社3年目の頃から
女性新事業企画チームに入り、
その方とも年賀状と暑中見舞いくらいの
やりとりをするだけになってゆきました。
6年の歳月を経て、
新事業企画の商品が形になったところで
私は退社し、
外国で働くことになりました。
そこからまた、
彼女とのやりとりが始まりました。
結婚されてから、
小学校の放課後にある学童教室の
ボランティアをされていたことを聞いたときは、
なんて彼女にぴったりなお仕事を
見つけられたことだろうと思い、
彼女と出会えた子供たちは幸せものだなぁと思いました。
そして今年。
その方が子どもを授かったそうです。
 
世の中にはいろいろなことがありますが、
あの方が育てる子どもが育つ、
世の中にまた大きな希望が生まれ育まれるのだと
心から大きな喜びが沸きました。
春のそよ風のような人です。
 
その方のお誕生日は今日、3月16日。
 
おめでとうございます。
あなたと出会えたから、今、わたしはここにいます。
 

日本の お化け物・妖怪 紹介

 
 
昨日は毎週火曜日の日本文化教室開催日。
 
いつものコトながらバタバタでしたが、
いつものとおり、スーパー優秀アシスタントJのおかげで
想像していた通りの、あんまりおどろおどろしくなく、
かわいいイラストのお化けを使った
お化け物・妖怪紹介ができました。
短期派遣ボランティアさんがニカラグア滞在中に
日本文化教室で紹介してくれた
相撲、バレンタインなどの紹介のやり方に
Jは大いに刺激を受け、いろいろ学んだようで、
昨日は教える表情も柔らかく、楽しそうでした。
来場者さんたちも「うわぁー、すげえ!!」とか
「これ、なんて言うの?」とか興味津々。
 
わたしの知らないお化けたちもたくさんいて、
いつものことながら、わたしも楽しませてもらいました。
短期派遣ボランティアさんの熱意がJに伝わり、
Jの日本のお化け紹介をしたいという熱意が来場者さんたちに伝わったのでしょう。
 
お化け・妖怪さんたちも、さぞお喜びのことと存じます。
 

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