ブログが移ります

 

ブログが移りました。

これまで  Diario de MITSUKO   を読んでくださった皆様

ありがとうございました。

これからは「みっちゃんのブログ」でお楽しみください♪

http://ameblo.jp/diariodemitsuko/

お茶ボーイ

 

たまには今の仕事のことも書いてみます。

今日、お客様が私を訪ねてこられたときのこと。

お客様と二人でお話をしていると、お茶を持って男性職員が来られた。

こんなことは初めてだったので、嬉しい驚きで、御礼を言うと

「お茶ボーイですみません」

と笑いながら一言だけ言って

その場を立ち去られた。

将来のことを考えてどうしようかなぁと思ったりもしているけれど、

素敵な同僚たちに囲まれて楽しく働いている今が好きです。

そして家に帰ると友人からの小包が届いていた。

読んでみてねー、と渡していた本と、夏の想いでCD写真集と

本家菊屋の栗饅頭が入っていた。

秋に熱いお茶と頂く栗饅頭

ん~、美味なり!

Hello world!

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ブルーフィールズ と カリブに浮かぶ楽園

旅行編、最終記です。
もうしばらく、旅行に出かける予定はありません。
今回はブルーフィールズという、カリブ海に面した町で“パロ デ マヨ"という有名なお祭りがあるというので、友人4人と行ってきました。

まず、行きに乗った、おもちゃのようなプロペラ飛行機が非常に揺れて、死ぬ思いをしました。
ジャンボでも飛行機に乗ると冷や汗が流れるわたし。

乗客12人乗りの、パイロットの背中を見ながら乗る、バスのような飛行機が雨雲に揺さぶられたとき、
「もう2度と飛行機には乗らない」 と、また心を新たにしました。
でも どうやって日本へ帰れば良いのでしょう・・・

ブルーフィールズは、空港からもカリブ海が見える、海の町でした。
空港に降り立った瞬間、湿り気をたっぷり帯びた熱い熱風に包まれました。
その昔、スペインがニカラグアへやってきたときに、アフリカの方たちもたくさん連れて来られたのでしょう。
お肌の色が黒くて、がっしりした作りの人が多かったです。
足のサイズも、40cmはあるだろう、というような大きさでした。
なにもかも、マナグア側の雰囲気とはまるで違います。
これが同じ国なのでしょうか。キョロキョロ

こじんまりとした町の狭い道いっぱいにお祭りのパレードが広がっていました。
ダンス "パロ デ マヨ"は 恋する男女の物語の踊り。
詳しいストーリーは忘れてしまいました。あしからず。

肌を露わにした衣装を身につけた女性と上半身裸の男性が激しく、それは激しく腰を振って踊っていて、見ているこちらが気恥ずかしくなりました。

夜は美女コンテストや踊りの舞台などを見て楽しみました。
私たちから見れば変わった衣装なのですが、彼女達にとっては最高に着飾ったものだったのだと思います。

そして翌日。
昼間は市内を巡回するバスに乗ったり、ブルーフィールズ名物の“ロンドン"と呼ばれる、ココナッツミルクで煮込んだ煮込み料理や、ココナッツプリンを頂いたりして、のんびり過ごしました。
夜はおいしい夕食を素敵なレストランで頂いた後、舞台をちらっとだけ見てそそくさとホテルに帰り、トランプゲーム・大富豪に熱中し、寝たのは12時半を過ぎた頃・・・
3日目の最終日。
起きると、どうも体調が思わしくなかったのですが、「気のせい」 と自分に言い聞かせて船に乗り込みました。

しかし、船で1時間ほど行ったところにある場所に到着すると、もうへとへと。

腰が痛くて歩けません。

ですが、さらに1時間船で行ったところに14の無人島があり、そこがとても美しいから連れて行ってあげる、というおじさんに出会い、これも運、ということで行くことになりました。

船で進んでいくと、魚市場のような大きな建物がある岸に着きました。
そこには、ものすごく大きな亀が3匹ほど、おなかを上に向けて船に乗せられていました。

実は、わたし、亀と蛙が大の苦手なのです。
しかもその亀は食用。ひええ~!
体調不良も重なり、失神しそうになりました。

ようやく着いた先の島。
それは絵葉書のような、素晴らしい景色でした。
けれどもその砂浜で遊ぶ体力は、もう私には残っておらず、ようよう辿りついたハンモックに横たわり、とても気持ちのよいシエスタ(お昼ね)を取らせて頂きました。

そして夜。
38度を超える熱が出て、いよいよ体調が悪くなってきましたが、あとは帰るだけ。
なんとか体力が持ってよかったです。

あ、今は元気になりましたのでご心配はいりません。

 
家に帰り、おじいちゃんに「ブルーフィールズに行ってきた」と事後報告すると、とても驚いていました。
ごめんね、おじいちゃん。
 
写真は
・昼間の“パロ デ マヨ”のカーニバル
・夜の美女コンテスト
・部族のダンス
・素敵な衣装の おじいちゃんとおばあちゃん
・イピコ (馬の隊列)
・ブルーフィールズ名物 “ロンドン”
・ブルーフィールズ名物 “ココナッツプリン”
・ブルーフィールズのお野菜屋さん
・カリブに浮かぶ楽園
 
順不同、想像にお任せします。
 
 
5月31日追記:一緒にブルーフィールズへ旅行した友人のブログに、とても素敵な写真が掲載されていたので、見てみてくださいね。

やきそば そして停電と絵

今日は 授業のない金曜日。
この日の予定は 大抵 決まってきている。
 
午前中、大学で猛然と土曜日クラスの準備をし、一旦家に帰り、荷物を持って 連絡所へ行く。
 
連絡所というのは、隊員たちが集う場所。宿舎にもなっている。
 
今日はお昼ご飯を頼まなかったので、連絡所で食べることにした。
 
「最近、野菜をあんまり食べてないな」
と感じていたので、野菜たっぷり焼きソバを作ることにした。
 
焼きソバは、先日来ニカした たかちゃんが持って来てくれた “日清焼きソバ” を、ありがたく使わせてもらうことにした。
 
連絡所に着くと、男性2名がいたので、一緒に食べることに。
一緒に食べる方が ずっとずっと おいしいもんねー。
 
焼きソバと わかめと玉ねぎのお味噌汁を夕方5時ごろ おいしく頂いて、食後のコーヒーを飲んでいる頃、もう1名隊員がやってきた。
彼はマナグアの野球隊員さん。
彼のホストファミリーのお父様が画家で、今夜 展覧会があるから行こう、ということになった。
 
展覧会の会場はマナグアの中心から少し離れた場所だった。(マナグアの中心ってどこ? なんて意地悪な質問はしないでね)
 
会場に着くと、確かに人は多いけど、暗い。
 
会場の方へ進んでも やっぱり暗い。
 
 
聞くと、停電だった。
 
停電の中、ウェルカムドリンクを頂きながら、お話していると、蛍が数匹、ポワーン ポワーンと光って 飛んでいる。
向こうには夜桜に見える 木が 1本。
なんだか幻想的な風景にぼんやりしていると、灯りがつき、みんなが一斉に歓声を上げた。
 
1時間近く、そんな風に過ごしていたらしいけど、あっという間のような気がした。
 
絵は抽象画が並んでいて、そう数は多くなかったけど、久しぶりに絵画を見ることができて よかった。
 
会場が暑かったので、外に出てしばらく涼んでから、バーへ飲みに行くことに。
 
行ったお店はうちの近所なのに、初めてのお店。
鶏肉のフライが、とても おいしいお店だった。
 
ヒガンドーテ(背の高いお人形)が出て、週末のマナグアのお店らしくなっていた。
帰りは近いけど、安全のため、タクシーで帰った。
20ペソ(約120円)で2人乗せてくれた。
 
家に帰ると、ママが出迎えてくれた。
ただいま!

静かな時間に 思うこと

雷が 夕方ごろから ゴロゴロ 鳴っています。
でも、未だに 雨は 降ってきません。
なんとか 空が 持ちこたえている、といった 風情です。
 
 
今週、平日クラスの 授業が 2コース同時に 終了します。
学生のみなさん、2ヶ月近く、本当にお疲れさまでした。
わたしも 正直、ほっ としています。
 
自分なりに いろいろ授業の 組み立てを 変えたり、日本で 生活した 経験を持つ ニカラグア人を ゲストに 招いたり、工夫しているつもり なのですが、どうも まだ納得が いきません。
 
 
「あの先生が 授業をされたら、この文型、どうやって 教えられるだろう」
とか、
「生徒達の習慣から見たら、これって不思議なのかしら」
とか。
日々悩みつつ、教案を作っています。
 
 
そして、悩みは もう ひとつあります。
夕方から始まるクラスは 生徒が減ってしまい、次のクラスでは たった 「2名」 になると 予想されます。
 
レベルが高くなっていくにつれ、文型が難しくなっていくので、いかにシンプルに、理解しやすく教えるか を考えているのですが、まだまだ 力量不足 ということでしょうか。
 
大学生になり、学校の授業が忙しくなって、クラスに来れなくなった子、仕事をしながら大学にも通っているため、テストが重なると、大学の方を優先せざるを得ない子、理由を言わないまま、去った子。
 
たった2人の学生のために、このまま クラスを続行するか。
それとも 新コース開講を待つ たくさんの学生に、日本語コースの 「レベルⅠ」を開講するか。
 
悩めるところです。
 
 
夜から始まるクラスは、レベル3を終える今も 14名を保ち、レベル5の土曜日クラスも 未だに 12名を 保っています。
これまでの記録によれば、レベル3で 10名前後、レベル5で 6名前後が 平均のクラスの人数のようです。
 
この人数を保てている原因として ひとつ考えられるのが、「文字の認識が早い」 ことです。
ひらがな、カタカナ、基本文型に悩んでいると、次の文型に追いつけなくなるばかりか、練習の時間も長く取られることになります。
そして、このクラスは そこが しっかりしていると 感じています。
 
やはり 大切なのは 基礎 だと 思います。
そして 着実な 積み重ね学習。
そして 応用と 実践。
 
個人的な意見ですが、「毎日 復習の時間を 与えること=宿題を 出すこと」 は とても大切だ と 思います。
 
 
ところで  最近、おうちのお手伝いさんに 読み書きを 教えています。
週に3度、1時間ほど。
彼女は なかなか 粘り強いです。
 
識字化教育なんて 全く 経験がなかったので、教えて、と言われたとき、どう 教えたらいいのか 考えていました。
が、実践していくうち、話していくうちに、「彼女にとって 何が 必要か」が、見えてきました。
 
そして、これは 私の スペイン語の 前進にも、役に立ちそうです。
まだ 目に見えた効果は ありませんが、そのうち きっと 花を 咲かせるでしょう。
 
彼女に教え、教えてもらう、この時間を とても大切に 感じています。
 
 
そして、もうひとつ 大切にしている 時間。
それは うちのおじいちゃんと 過ごす 時間。
今日は、わたしが 晩御飯を 食べているとき やってきて、たわいもない話をしているとき、ふと この家の歴史を ぽつぽつ 話してくれました。
 
このおうちは 34年前に 建てられたこと。
そのとき、息子さんの ヘラルドさんは まだ 4歳だったこと。(ただいま38歳。素敵な パパです。)
その年に マナグアの大地震が 起きたこと。
 
そんなはなしを していると、おばあちゃんも出てきて、2人で いろいろな話を 教えてくれました。
 
今、ようやく 空が 雨に落ちるのを 許したようです。
こちらにしては 珍しく、しとしと と 降っています。
全く 静かな夜です。

雨季到来

何の前触れもなく、今日、雨季が始まりました。
 
夕方4時。
突然始まった ものすごい雷雨。
停電が起こるほどの 大雨でした。
雨が降って、上昇し続けていた気温が、少し下がった感じがします。
 
 
 
ところで、先日 昼食を家で食べているとき 家の人が 言いました。
 
「今までここに住んでいた日本人の中で、Mitsukoが一番ゆっくり食べるね。」
 
そうです。私は食べるのが遅いのです。それもかなりゆっくり食べます。味わって、味わって。
食べるのが大好きなので、どうしてもそうなるのです。
 
 
おいしいものと言えば、今日、“ブニュエロ”と呼ばれるこちらのお菓子と、鯵のお刺身を頂きました。
“ブニュエロ”は学生から、鯵のお刺身は学生のお母様から。
 
“ブニュエロ”というのは、“ジュカ”と呼ばれる、多分芋科の食べ物をつぶして、これも多分ですが、チーズと混ぜ合わせ、衣を付けて揚げたものです。
それにはちみつをたっぷりかけて頂きます。
 
先日の授業のとき、
「先生、ブニュエロ、食べたことある?」
と聞かれ、
「なぁに、それ?」
と言ったので、買って来てくれたらしいのです。
 
本当に可愛い生徒達です。
“ブニュエロ”はとっても甘くて、おいしかったです。幸せな気持ちになりました。
 
 
そして鯵のお刺身は 日本人のお父さんと、ホンジュラス人のお母さんを両親に持つ男の子がクラスにいて、彼のおうちから頂きました。
 
 
久しぶりに食べたお刺身。
涙が出るほどおいしかったので、近所に住む日本人の友人にもおすそ分けしました。
彼も食べるなり、わざわざ電話をかけてきて、いかに美味しかったかを語ってくれました。
あったかごはんがあったら、もっと最高なのに。。。 いえいえ、そのままでも美味しかったですよ。
 
 
今、夜の10時半。また雨が降り始めました。
風がひんやり、心地よい。
今夜はやっと眠れそう。。。

ニカラグアで暮らす 日本で暮らす

GWの休みを利用して遊びに来てくれた友人が、日本へと飛び立った日曜日。
教え子が家でスープをご馳走してくれる、という。

ニカラグアの家庭のスープは とてもおいしい。
ありがたく お言葉に甘えることにした。

お昼前、もう一人の生徒と待ち合わせをして、一緒にホセさんの家に着くと、ホセさんはお母さんと一緒に買い物から戻ったところだった。
ホセさんが手に持っている大量の骨付き牛肉で、今からスープを作るのだ、という。
こりゃあ、時間がかかりそうだ。
ホセさんの弟さんも、私のクラスで日本語の授業を受けていたことがあるため、お互い知っている。
 
兄弟で、テーブルと、テレビと、DVDを、庭に出してくれた。
(家の中より、庭の方が風が通って涼しく、心地よいのです。) 
私たちは映画“GEISHA”を見て、スープができるのを待った。

お腹をすかせて、待つこと3時間。

 
できました!

テーブルを囲んだのは、ホセさんのお母さん、ホセさんとその彼女(?!)、ジャデルさんと私の5人。

ニカラグアでは一般的にスープは、ちょうどお風呂のお湯を汲むための、プラスチックの洗面器のようなものに入れる。
(写真参照)

とは言っても、これで食べるのは初めて。ドキドキ☆
スープの中にはニカラグア特産の、いろいろなお野菜が入っており、身体にも良さそう。

スープは牛肉の骨から出た出汁と、たくさんの野菜の甘みで、とても美味しかった。

また、ホセさんのお母さんは、気軽で優しい方だった。

食後には、昨年アメリカを旅行した写真や、昔の家族アルバムなど、いろいろな写真を見せながら、説明してくれた。

ホセさんも 弟さんも、子供の頃とちっとも変わっていなくって、とってもかわいかった。 
こちらはのんびりとニカラグアの家庭で過ごした ニカラグア流の日曜の昼下がりの おはなし。
 
 
 
 
そして、その翌日の月曜日。
 
ニカラグアに住んでいる 日本人の友人から電話があり、日本の大学で3年間勉強していた ニカラグア人留学生と一緒に クラスへ来てくれる、と言う。
 
そんな良い話はない。
 
だって、クラスの生徒達が、ニカラグア人の口から日本の生活や勉強風景の話を聞けるチャンスなど滅多にないからだ。
 
 
彼女の名前はマリア。
1週間前に帰ってきたばかりらしい。
 
学生の前で彼女が日本の生活を話し始めた。
 
 
大学での勉強が、それはそれは大変だったこと。
 
九州に住んでいたのだけれど、駅や街の看板、スーパーに売っているものなど、ほとんどが日本語表記のみで、英語が分かる彼女でも 始めの頃は 本当に生活が大変だったこと。
 
アジアにいる機会に、韓国や中国、シンガポールなどを旅行したことなどを語ってくれた。
 
 
時間があまり取れなくて、短時間になってしまったけど、きっと今、日本語を勉強している生徒達の 新たな希望になった、と思う。
 
 
クラスの後、友人と彼女と3人で 夕食を食べた。
 
彼女はニカラグア人と言うより、日本人のようだった。
とても可愛らしく、おしとやかで、謙虚な心も持ち合わせていて 驚いた。
(最近 私が 少しずつ 忘れかけていること!)
 
大学での勉強だけではなく、いろいろなことを、彼女の心で深く感じ学んだんだなぁ、と感動した。
 
 
以下はマリアとの Q&A
 
日本に住んでいて、食べたくなったニカラグア料理は?
・・・プラタノ マデューロ(バナナの大きいもの・野菜 の熟したものをソテーしたもの)
 
日本のお風呂はどうだった?
・・・大好き!温泉も大好き!!
 
3年間の間に、ニカラグアに帰ったことはあった?
・・・2回 帰った。
 
日本の勉強はどうだった?
・・・とてもレベルが高くて、本当に厳しくて、大変だった。
 
 
日本にはたくさんの外国人留学生や働いている人たち、そして その家族や親戚がいます。
その人たちも、日本人も、みんなが楽しく暮らせる街に なりますように!

たかちゃんが来た!

GWの休みを利用して友人がニカラグアへやってきた。

彼女がマナグア空港に着いたは夜10時近く。

一人旅と言うこともあるし、私の生活を知ってもらうため、1日目はうちに泊まってもらうことにした。
 
ちょうど、大家さんのお姉さん夫婦もコスタリカから遊びに来ていて、うちの中はとても賑やかだった。
友人は旅の疲れも見せず、とても元気そうで安心した。
それにしても彼女の肌は ニカラグアの陽射しでこんがり焼けた自分の肌を見慣れているからか、眩しいくらいに色が白く感じた。
彼女と私が知り合ったのは、高校生の部活動時代。
3人組で仲良しなのだが、もう一人の仲間が、あいにく休みが取れなかったため、今回は彼女が勇気を出して、一人でニカラグアへやってきた。
 
スーツケースを開けると、右半分には日本からのお土産がぎっしりと詰まっていた。
一つ一つ、手に取りながら、友人達の愛情を感じて、改めて感激した。
お土産の中のひとつに、私がコレクションで集めているデンマーク製のボールペンも入っていて驚いた。
ヒューストンの飛行機の乗り換え時間に見つけて、買ってくれたらしい。
 
さて、ニカラグア周遊 1日目はグラナダ。

グラナダに職場のある日本語教室の生徒の女性にグラナダ観光を案内してもらった。

まずは“ランチャ”と呼ばれる船に乗って、ニカラグア最大の島、ニカラグア湖の島巡りを楽しんだ。

ニカラグア湖は琵琶湖の8倍の大きさのある湖で、大小あわせて500近い島がグラナダ付近にあるという。

市内からは島があるように思えなかったが、船に乗ると島に挟まれた美しい水路が 迷路のように張り巡らされていた。

眼前には美しい単独峰のモンバチョ山が見え、近くにはたくさんの水鳥たちが羽を休めていた。

島巡りの後はグラナダの大聖堂の鐘楼まで登って、フィレンツェを髣髴とさせるような美しい街並みを眺めた。

夕食はグラナダで活動する隊員たちと合流して、お肉料理のレストランへ。

なんとも美しいレストラン。

歯のCMに出てくるような、笑顔のはじけるメセロ(ウェイターさん)のサービス。
柔らかくて、おいしいお肉においしいデザート。

仲間の隊員さんたちは、たった3日のために友人がニカラグアへ来たことに驚き、

「どれだけ仲が良いの!」
と言って、笑った。

夜はグラナダの街並みに馴染んだ、美しいホテルで休んだ。

そして 2日目。

まずは グラナダの市場を通り抜けて カタリーナへ向かった。

カタリーナはモンバチョ山、グラナダの街並み、そしてニカラグア湖を一望できる展望台のある、標高が高くて 涼しい場所。

眺めの良い場所にある食堂で、恰幅と愛想の良いおばさんに作ってもらったニカラグアの典型的な朝ごはんを食べた後、ゆっくり散歩しながら、景色を楽しんだ。

カタリーナを出てから、マサヤの市場へ向かう。
マサヤへ向かうバスの中で、隣の席のおばさんがいろいろと話しかけてくる。

 
「あんた、結婚してないのかい。何歳だい?子供はいるのかい?」
 
なかなか気さくで面白いおばちゃんだった。

さて、マサヤの市場は物が豊富で、安くて、人気がある。

マサヤの市場ではいろいろな店を覗きながら、

「あの人にはこれ。○○さんにはどうしよう~」
と、一緒にお土産物を選び、値段交渉を引き受けた。

マサヤの市場でゆっくり買い物を楽しんだあと、バスで、マナグア経由でレオンへ向かった。

 
グラナダからカタリーナまでバスで1時間。
カタリーナからマサヤまで20分。
マサヤからマナグアまで40分。
そして、マナグアからレオンまで1時間半。
 
2日目は すごい移動距離だ!

暑い街、レオンに着いたのは、特に一番暑い午後3時前。

長いバス移動と、暑さのせいで ちょっと疲れていたが、大聖堂の上に上るなら4時半まで、と時間に制限があったので 先に登ることにした。

私は大聖堂の天井に登るのは2回目だったが、やはり美しい街並みで感動した。

そして、1回目登ったときは来た当初だったが、今回はニカラグア生活10ヶ月目に突入したので、ガイドの説明をほとんど理解することができたので、大聖堂と教会との関係、山の名前、街の歴史などが良く分かって勉強になった。

夕方、レオンで活動する仲良し同期隊員と会って、まずは夕食を食べに

“ロス ペスカディートス”(お魚さんたち) という名のレストランへ。
ここの"ぺスカード アヒーヨ"(お魚のにんにくソースがけ) はおいしかった。
食後、その昔、インディヘナの街の中心だったというサンクリスティアーバ教会の横を ぶらぶら歩いて帰っていると、向こうの方に“ペロンバス”という市内観光バスが走っているのが見えた。

「あ、ペロンバス・・・」
と私が言い終えるのが早かったか、彼女が走り出したのが早かったか分からないスピードで、同期隊員の友人が猛然とバスに向かって走り出した。

その足の早かったこと!

私たちも必死で後を追う。

彼女がガイドのお姉さんに交渉してくれたおかげで、私たちは念願のペロンバスに途中乗車することができた。

ペロンバスは最高だった!

天井のない1階建てのロンドンバスのような乗り物は、夜のレオンの街に吹く爽やかな風と 大音量でかかるラテン音楽が 気分を盛り上げてくれる。

ペロンバスは終点の大聖堂前の中央公園前に着き、同期の友人の彼女が私たちをホテルまで送ってくれた。

その日の夜、私たちが泊まったホテルはとてもかわいい中庭のある、小さなホテルだった。

3日目は朝ごはんをホテルの中庭で頂いてから、マナグアへ向かった。

友人のスーツケースを取りにうちに戻ると、うちのおじいちゃんが家の庭に座っていた。

私たちの顔を見ると、

「お前さんたちが旅行に行っとる間、わしは日本へ行って、彼女のお母さんに挨拶してきたんじゃ。」

と言って私にウィンクした。  なんてかわいい人なんでしょう!

日曜の朝の飛行機の便が早朝だったので、マナグアのホテルで最終日の夜は泊まることにした。

ホテルへ向かうタクシーの中で、友人が

 
「思い切って来て、ほんまに来てよかった。」
と言ってくれたのが、なんとも嬉しかった。
きっと、私が大好きなニカラグアを、彼女も好きになってくれたことが嬉しかったのだろう。
ホテルに荷物を置いた後、フライドチキンの昼食を食べ、マナグア市内を一望できる小山へ案内した。

そこは私がマナグアの中でも大好きな場所で、なんどか訪れたことがあったが、その日初めて、そこで“カノピー”を楽しんでいる人たちを見た。

“カノピー”とは、小さな湖の上にながーいロープが三角形に渡されていて、そのロープに掛けられた滑車に摑まって、向こう岸に渡るというもの。

カノピーから湖面まで、優に10m以上はあるだろう。
恐ろしい・・・
なんでもその昔、滑車のブレーキが利かなくて 壁にぶつかり、そこで重症を追った人が新聞に載ったとか。

でも見ていたところ、無事に全員到着。ホッ☆

展望台を降りてから、スーパーへ向かった。
スーパーの中はひんやりと涼しく、買い足りないお土産を ゆっくりと選んだ。

一旦、ホテルに戻って、荷物を置き、汗を流すことに。

私はこの旅の間、
「私、日本にもう戻れないかも~」
と弱気なことを言って、友人に心配を掛けてしまっていた。

しかし。バスタブ付きのこのホテルのお風呂で、熱いお湯をはって身体を沈めると、あーら不思議☆

「日本を離れて10ヶ月かぁ。思えば、長い月日が経っていたんだなぁ」
と郷愁のような思いが、ふつふつと心に湧いてくる。
お風呂の力は、私を日本人に戻すすごい力があった。
これで、日本人に戻れる自信がついた感じがした。

お風呂から上がった後、おいしいコーヒーを飲みに夕方からカフェへ出かけた。

2階のテラスにあるカフェでのんびり話を楽しんだ後、ぶらぶら歩きながら、ニカラグアの典型的な料理を振舞うレストランへ向かった。

おいしいお料理と、哀しいギターの音色に合わせて歌う、ニカラグアの曲を楽しみながら、飲み、食べ、おしゃべりした。

 
3日間、彼女がおいしそうに料理をきれいに食べてくれたのが嬉しかった。
ニカラグアに 自然に溶け込んでいる様子が 素敵だと思った。
一番熱い季節に来たのに、楽しんでくれて安心した。
ホテルに戻り、湯船に浸れるのが嬉しくって、またお風呂に入ってしまった。
何度入っても、たまらなく気持ちがいい。
やっぱり私は日本人だった、と改めて確認。

翌朝早く起きて、友人を見送りに空港へ向かった。
夜明け前の空港で、別れを惜しんだ。

たかちゃん、会いに来てくれて、ありがとう。
1年と2ヵ月後、今度は日本で会いましょう。

平穏の地へ

週末、セルバネグラ(黒い森という意味) と呼ばれる場所へ行ってきた。
名前だけは知っていたが、どんな所かほとんど知らなかった所へ、急遽思い立って、友人と行くことにした。
土曜の朝食時に、2泊3日でセルバネグラへ行くことにした、と家族の人に伝えると
「とても素敵なところよ。ゆっくり楽しんでいらっしゃい」
と言われ、朝、送り出された。
そして、「セルバネグラ」は最高に気持ちの良い場所だった。
1年で一番暑いと言われるニカラグアの4月でも、寒いくらいの気候。夜、毛布に くるまって眠る。
静かな湖があり、山があり、見たこともない花々が咲いていて、「平穏」という言葉がぴったりの場所。

友人が前日に取ってくれたホテルは とても清潔で可愛らしく、お湯シャワーが出た。
必要なものが取り揃えられており、従業員のサービスも気持ちが良い。

「素敵!」と「最高!」の言葉が 1日に何度も口から出てしまって しょうがない。

ところで、4月最後の日である日曜日、ニカラグアではまるで思い立ったかのように、サマータイムが始まった。
いつもの感覚だと6時に起きたつもりだったが、7時に起床ということになる。
どうにもこのサマータイム制に、私はまだ馴れない。

朝食前に小雨が降る中、池のほとりを散歩。
少し雨足が強くなってきたので、そのまま湖のほとりのレストランへ。
おいしい朝食を頂いている間も、深い霧がたちこめ、肌寒く、ヨーロッパかどこかへ来たような感覚に陥る。
午前中は雨足も強まったため、のんびり休息。
昼食にトマトのクリームスープを頂く。絶品なり。

昼食後は雨も上がったので、小路を散策していると、リスに出会った。
木の上で、一心不乱に木の実を食べる様子はとてもかわいいかった。
その後も、リスを 2匹 見た。
私が住んでいるマナグアと同じ国だ とは思えない、自然と気候。

そのまま午後は 乗馬をすることにした。
1時間くらい、馬の背中から見る、いつもと少し違う 視線の景色を楽しんだ。

乗馬後、オレンジのケーキと紅茶で休憩。手作りで、しっとりしたケーキ。こちらも美味。
部屋に戻り、お湯シャワーを浴びる。冷えた身体が一気にほぐれる。
やっぱりお湯シャワーはいいなぁ。

夕食に鳥肉と野菜のスープを頂いた後、部屋へ戻る途中、空を見上げると、真っ暗闇の世界に満天の星。

標高1500m近いためか、星に手が届きそう。
夜はレストランから聞こえる 生演奏の音楽と歌を聴きながら、眠りについた。

そして最終日の朝は良いお天気だったので散策した後、朝食を頂きにレストランへ。

朝食はバイキング。
 おいしいガジョピント、目玉焼き、サラダ、そしてヨーグルトにパイナップル。
とてもおいしいコーヒーと一緒に頂いた。
朝食後、おみやげ物屋さんを覗いた後、山道散策へ。
思いがけず深い深い山の中を歩くことになった。

うっそうとした木々の中を歩くと、いくつものせせらぎに出会う。

美しいせせらぎを超え、鳥とサルの鳴声がこだまするのを聞きながら、のんびりと サルのテリトリーを 一周した。
 約1時間ほど歩いた山の小道は、わたしが今まで歩いた山の小道の中で一番気持ちの良い場所だった。
偶然あの路を歩かなければ、セルバネグラの本当の良さを知ることはなかった、と思った。

全ての喧騒から離れ、気持ちの良い気候の中、自然の中で ゆったりとのんびりと過ごした3日間。

マナグアに戻ってきた今も、目を閉じれば 深い緑と サルたちの鳴き声が聞こえてくる。
セルバネグラで、本当に充足できたのは、一緒に行った友人がとても素敵な人だったから。
彼女と旅行に行ったのは初めてだったけど、気持ちの安らぐ 素敵な時間を共有できた。
あっこちゃん、満ち足りた休日をありがとう。

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